第54章 続・夕暮れ(2007.11.25)

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「ALWAYS 続・三丁目の夕日」、昭和33年、34年の昭和2桁の時代がとても懐かしい映画。何気ない風景、仕草を観ているだけで、目頭が熱くなってしまった。でも、どこか違和感を感じてしまう。どうしてなんだろう。映画館のシートは、以前のエコノミークラスのような狭い座席から、ファーストフード持込可能なビジネスクラス並みのサービス、仕様だからなのか、いや席のシートやサービスが理由ではない。モノトーンではなく、カラーのためか、そうでもない。この違和感、何だろうかと考えていた。都電やこだま号、町並みなどのセットが、あまりにもリアル過ぎるためだったからだろうか・・・それも違う。昭和2桁の移り変わりの一部、高度成長時代を東京で生まれ、育ち、見てきた。道路はまだ砂利道、空き地が至る所にあった。東京タワーが立てられ、こだま号が新幹線ひかり号に変わり、霞ヶ関の超高層ビルも建築された。当時は家の物干し台からも東京タワーが見えていた。そして、火力発電のお化け煙突が壊された時代を経た。いつも町全体が生活感で満ち溢れ、真っ赤な夕暮れの後、夜になるととても静寂な時間が訪れていた。

・役者があまりにも洗練されていた・・・確かに・・・でも良かった。
・フウテンの寅さんに出てくる蛸社長がいなかった・・・でも良かった。
・汗の臭い、どぶ板、町の煙・・・どこか生活感に欠けていた・・・でも良かった。
・台風シーンがなかった・・・子供の頃、不思議とワクワクしたなぁ。
・ベーゴマシーンはあったが・・・チェーリングシーンがなかった。
・それよりも正義の味方のガキ大将がいなかったなぁ・・・昨今のいじめ社会問題の最中では厳しいかぁ。
・ゴジラは迫力満点・・・ザ・ピーナッツの♪モスラーやモスラー♪も聞きたかった。
・八百屋の棚、電気屋の看板、足袋のブランド・・・懐かしい。
・サクラ登場の道端販売(バッタ商売)・・・今でもこの手の販売はあるから楽しい。

でも、そんな些細な小細工のことではない。何でだろう・・・そうなると多分、あれしかない。

「あの風景は、幼い頃に五感で感じないとわからんよ」
「自分、どこの出身やったっけ」
「おいらぁ、東京やんけ」
「へんな、東京人やね」
「何はともあれ、地方の田舎もんにあの映画がわかるはずがなぇや。銀座三越、上野松坂屋、不二家の苺ケーキ、知らんやろ」
「そんじゃ聞くんやけど、東の京になって何年経ったっけ、大丸さん知っとるんか」

ともあれ、京の都の方々、本当にわかって見ていたんやろか。まぁ、真っ赤な夕日はどこにいても、見られるんだろうし、それに京西山に沈む夕日はきれいやし、よしとしよう。あの頃はみんな貧しかったが、心はいつも暖かかったなぁ。

「銭のないやつぁ、俺んとこへ来い! 俺もないけど心配すんな 見ろよ青い空、白い雲、 そのうち何とかなるだろう」

不立文字の感動があった。ありがとう。

京都山小屋の住人

(次回に続く)