第41章 ノスタルジーを感じる夕暮れ(2005.11.19)  

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ハードな山仕事も終わり、山裾を見る。秋晴れ時の夕暮れは、とても気持ちいい。山の稜線がくっきりと見えて、茜空に染まる一時はなんとも言えない気持ちになる。この季節、夕方5時を過ぎると、もう暗闇になる。そしてしばらくすると、星がきらめき出す。その僅かの時間がとても大切な時間に感じられるから不思議だ。特に山小屋のある山間部は、山に隠れ、太陽が沈むのが早い。五右衛門風呂につかりながら、夕陽が沈む瞬間を眺める時間も今となっては贅沢なひとときだ。

夕暮れで想い出すことに、田舎の畦道がある。ススキが茂る小道を自転車で通り過ぎたあの頃、今でも鮮明に思い浮かべることができる。また、コウモリが空を舞う頃まで時間を忘れて、夢中になって遊んだ日々、今もきっとみんな元気に頑張っていることだろう。そう言えば、最近、夕暮れをじっくりと眺める機会も少なくなったし、オフィス街では見える環境も少なくなった。その点、京都市内は建物の高さ規制もあり、東山からの日の出、西山への日の入りを見ることができる。やはり、お天道様と共に生きることが自然かもしれない。初夜頃に床につく生活か、でも、現代人はまだまだ会社でお仕事もあり、秋はつい夜長してしまう。

「今日もよう頑張ったね。お疲れさまでした」
「もう少しで、この田も終わりだ」
「夕焼けがきれいだね。明日も晴れるね」
「山が夕焼けで燃えているように見えるな」
「本当、紅葉が映えて見えるね」
「さぁ、帰ろか」

夕暮れと言えば

「夕暮れ時はさみしそう とっても一人じゃいられない・・・」のフレーズが出てくる。

「田舎(いなか)の堤防、夕暮れ時に ぼんやりベンチに、すわるのか」
「こんな河原の、夕暮れ時に 呼び出したりして、ごめんごめん」
「笑ってくれよ、ウフフとね そんなにふくれちゃ、いやだよ」

〜「夕暮れ時はさびしそう」(1974)作詞、作曲:天野滋、歌:N・S・P〜
NSPのリーダ・天野滋さん、この夏、急逝去。52歳。確かに青春の一ページでした。

もちろん、夕暮れは明日があるから、せつなく美しい。そして寂しい時こそ、一人で辛抱し考えることが人を強くするものだと、学生時代の恩師によく言われたものだ。

京都山小屋の住人

(次回に続く)