第64章 山里は里山の奥、山小屋はそのまた、また奥にある処(2008.11.29)  
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里山については、以前、記したことがあった。その時は、里山とは「人の営みと自然の営みとがぶつかり遭い、微妙なバランスでかろうじて、人の営みが維持できる場所」 とした。そして、「里山」という言葉が出てくる人は、なかなか、この世界に通じている人という感じがするとも記している。「里山」「山里」、この両者、同じ漢字2文字でありながら、前後を入れ替えただけで、その響きや伝わってくるイメージがかなり違う。さすがに「山里」という言葉を使う人は少ない。

もちろん、こと山小屋に関して言えば、山里でも理解するには無理があり、自然の中にすっぽり包まれた山小屋という表現が、やはり、ふさわしい。里山も、山里も、自然環境の厳しさの差の違いはあるだろうが、昔から日本人が生活の営みを続けてきた処である。今では人の営みの温もりがめっきり薄くなり、既に限界集落となっている。それでも、里山のイメージは田園風景、一方、山里は谷間と渓流のある風景が目に浮かぶ。一方、山小屋は、人の主張を一切受け入れてくれるような環境ではなく、自然の一部に溶け込み、時には葛藤する場である。

最近、団塊の世代などからよく耳にする田舎暮らしへの憧れ・・・

「田園風景」「故郷」「週末別荘」「孤島暮らし」「国外永住」

「茅葺の家」「縁側のある平屋建て」「蔵のある家」「終の棲家」

「土いじり」「野菜づくり」「お米づくり」「果樹園づくり」

「きのこ栽培」「花卉栽培」「果樹栽培」「家畜飼い」「マタギ」

「合気道」「剣道」「ヨガ」「座禅」

「蕎麦打ち」「陶芸づくり」「炭づくり」「音楽三昧」「釣り三昧」

「喫茶店経営」「農家民宿経営」「ブリーダー」「赤ひげ先生」・・・etc。

その大半は、自然の中でのんびりと、組織や時間などに縛られることなく、自分のスタイルで趣味などに没頭した生活がしたいという漠とした憧れだろう。そして定年後、その憧れを実行に移す人がいるが、多くの人たちは、例えばサラリーマン時代、これと言ったこだわる趣味もなく、憧れているだけの人が多い。その中で時間が流れ、中高年から高齢の領域に入っていく中で、体力や健康や病気となった場合の不安、新しい住環境への不安、ご近所付き合い等々、その壁ばかりが気になってしまう。そんな場合、一応は、想定できることをすべて出し切って、差し引き、多少でもプラスと出れば、実行に移せばいいんだろう。当たり前であるが、里山には、確かに、都会にはない魅力が多くある。また、逆も真なり。輪廻転生を信じるのであれば別だが、人生一回きりの片道切符だから、我が好きな道を進むことが一番かもしれない。そして、移転先が水に合わなければ、さっさと他の土地へ移動することもいいんじゃないだろうか。まぁ、ちょこっと旅にでるような気持ちで、あまり、深刻に考えることではないのかもしれない。そうなると、まずは賃貸などフローな生活を送ることが賢明か。そして、しっかりと水が合えば、それこそ理想とする悠久の里を目指したらいい。さて、どこに棲もうか。その前に、「誰と」「何をする」・・・夢は最後に話そう。

「かなり山奥に来たもんだね」
「さっき通り過ぎた集落から、またさらに奥にきたね」
「まだ、まだ序の口だよ。これからが踏ん張り時だよ」
 ・・・・・わっこら・・・わっこら・・・・・
「やっと、見えてきたよ」
「よう、こんな奥まった場所に山小屋を建てたもんだ」
「ここに誰か住んでいるの」
「棲んでいるけど、僕は間借りしているだけだよ」
「そうなんだ、それじゃその住んでいる方が大家さん」
「うん、そうだよ。森に棲む神さまだよ」
「・・・」

京都山小屋の住人

(次回に続く)