第73章 月明かりの下で(2009.09.05)
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お月様を見ると、なぜか心が落ち着く。月に興味を持ったのは、アポロ11号の月着離陸の生中継を見た時からだったのだろうか。夏休みに入りたての早朝、父親に起され眠たい目をこすりながらも一生懸命、イーグル船が着陸する生中継を手を握り締めて見ていた。西山千さんの同時通訳への憧れもあり、その後は、打ち上げから月着陸、そして月面での偉大なる一歩までの音声を記録したLP版レコードを購入し、辞書片手に何度も聴いては夢中になっていた。

“Houston, Tranquility Base here.The Eagle has landed.”この時の歓声は今でもはっきりと覚えている。
そしてニール・アームストロング船長のあの名言“That's one small step for a man,one giant leap for mankind.”

そんな宇宙大好きの少年も、高校、大学へと進学し、そして社会に出てからは、ロケットや月に対する興味も、いつしか褪めてしまい、ほとんど夜空を見上げることも少なくなっていた。そんな昔の郷愁に近い夢を今、楽しんでいる。漆黒の世界がある山小屋では、月明かりはとても明るく、身近な世界に感じられる。照度的には、満月の月あかりですら、わずか0.2ルクス程度ではあるが、その明るさの拡がりは、森全体、山全体を照らし、どんな照明器具でも適わない。月明かりが照らす所と照らさない所のコントラストも際立つ。そんな月が照らす時は、山に棲む臆病な動物たちは、月明かりを避け、月の光が届かない漆黒の世界で息を潜めながら、やり過ごしていることだろう。

西暦3桁の時代、それこそ日本のこと、さらには地球のこと、ましてや宇宙のことなどは、神秘でもなく想像すらつかなかった時代であったことだろう。そのような時代であっても、太陽と月は常に身近な存在であったことは確かだ。特に、お月様には、兎やかぐや姫伝説などの逸話が、その時代の不思議さを垣間見ることができる。太陽が西に傾き、しばらくすると当然、電気の灯りなどのない漆黒の世界となる。唯一の灯りは、蝋の灯り、一寸先とは言わないまでも、足元を照らす灯りの世界であったことだろう。夜の戸張がバサッと落ちると共に、漆黒の世界となる夜に、お月様が出ることで、様々な不思議が生まれてきても不自然ではないだろう。たまには魑魅魍魎の世界にも出会うこともあるだろう。

今年の中秋の名月は10月3日。たまには薄(ススキ)とお団子でもお供えして、秋の虫、渓流のせせらぎ、鹿などの獣の遠吠え、梟の鳴き声、そして木々の葉の音などを聴きながら、満月の明かりを半眼で感じつつ瞑想に耽るのもいいだろう。月を愛でる世界としては最高のロケーションとなっている。

「月明かりは不思議と気持ちが落ち着くね」
「でも、西欧では血が騒ぐというよ」
「大和の国は山紫水明の世界だからね」
「ところでさっきから気になっていたんだけど、あれ何?」
「どこ?」
「あそこの林の奥の暗がりで何か光っていたよ、淡い黄色の光のようだけど」

さて、この正体が何であるかは、たまには知らないことも神秘があってもいいだろう。何もかも、科学の理論で納得することが、必ずしも正しいとは限らないところに、この世界の楽しさでもある。これより前の夏に、我が家の犬と一緒に人里離れた山のそのまた奥の谷間で、キャンプをしたことがあった。そこでも林の高いところで、無数の淡い光がある程度、ゆったりとした周期でボーと光ったり、消えたりしていた。外で番犬をさせていた大型犬ですら、その晩はしばらくするとテントの中に、しっかりともぐりこんできた。きっと、何か見てはいけないものを見たに違いない。

京都山小屋の住人

(次回に続く)