第38章 蝉は日本文化とか(2005.10.1)  
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「閑(しずけ)さや岩にしみいる蝉の声」(松尾芭蕉)。

日本人であれば、誰もが知る山形山寺の緑深い山奥で詠んだもの。この俳句の意味する感性は日本人だけのものかもしれない。竹が風で揺られて出る音、渓流のせせらぎの音、カジカの鳴き声なども、古代から日本人が自然への畏敬の念や調和、和の心として培ってきたものだろう。比較的、京都市内は三方を山々に囲まれ、風光明媚な場所が多く、それらは京都人の日常の憩いの場ともなっている。中でもお気に入りの場所をあげると、下鴨神社の「糺(ただす)の森」と鴨川沿いにある植物園、それと平安京の北の守護であった船岡山ですか。糺の森は3万6千坪もの広さがり、古代の山城国の名残をとどめている自然環境とされ、国史跡に指定されている、いわゆる神聖な里山。「糺す」という名の語源は、諸説あって定かではない様だが、その一つに「神が顕れる(たつ・ただす)ところ」という意味がある。古代から日本人が自然との調和の場として、大切にしてきた場所であることがわかる。植物園は広葉樹の森や針葉樹の森などがあり、蝉捕りや散策するだけで楽しくなる場所だ。また、船岡山はどんぐり採集によく利用している散策スポット。御所も好きな場所だが、日夜、皇宮警察の方々が日夜警備しているので、どんぐり拾いは苦手だ。いずれも、自然をごく自然風に何とかコントロールする知恵がある日本人ならではの公園(現代版里山)。

そんな里山の夏の生き物の代表選手は、カブトムシか、蝉だろう。蝉の中では、特にヒグラシがお気に入りだ。山作業を終える時間になると「カンカナカナカナ・・・」と鳴きだします。ヒグラシの音色をバックミュージックに、五右衛門風呂上りの後の枝豆をつまみに生ビールがとても旨く感じらる。蝉の音色で季節のうつろいを感じることができる。

それにしても蝉は、あの小さな体でよくも大きな音色を出せるものかと不思議だ。あの威勢で鳴くのだから、地上での寿命も1週間程度ということも納得できる。蝉の体の構造は、コオロギや鈴虫などのバイオリンの様な管楽器ではなく、太鼓などの打楽器+アンプに近い構造。大音声を継続的に鳴らす持続力には、ものすごいパワーが必要であることは確かだ。アンプであれば、消費電力もかなりのものだろう。でも、それも自然の摂理、自己の遺伝子を継続させるための本能と理解すると納得できる。この本能は何事よりも優先されるべく最大のイベントだ。そう考えると蝉の声も、違って聴こえなくもないだろう。合理的な欧米人、敢えて曖昧模糊の中で心の美を好む日本人。親日国家と呼ばれる国々の多くは、多分、日本人と似た感性を持つ国民かもしれない。

「ここに、すももの木があったよね」
「うん、すものの木の甘い汁に昆虫たちもよく集まってきていた」
「昆虫採集で、よく蝉を手づかみした場所だよ」
「昔の面影がなくなるのは寂しいけど、想い出だけは鮮明に浮かぶね」
「よくしょうべんかけられた口だなぁ」
「トロイところ、今も健在か」

山にはもう蝉も去った。また、来年の夏の「蝉時雨」(せみしぐれ)が楽しみにしよう。まもなく、秋の虫もいなくなる。山の秋は超特急だ。

京都山小屋の住人

(次回に続く)