第27章 里山、春遠からじ(2005.2.6)  
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ご縁があって山小屋のお話すると、決まって出てくる言葉に以下のものがある。

「凄い」、「別荘」、「里山」

一番初めの言葉は、話題に合わせるためのリップサービスかもしれないが、後のキーワードは、なかなか面白い言葉であると、その言葉が出る度に思う次第です。

まずは「別荘」。別に、軽井沢のお話をしている訳でもないのに、どうして「別荘」という言葉が出てくる背景を考えて見た。そこには、二つの思い込みや誤解があるようです。一つは、どうも小生が裕福であるというイメージからの思い込みです。確かに、やや裕福な体や風貌はしていますが、世間並みのごくありふれた人間です。二つ目の理由としては、山小屋=別荘とのイメージがあるかもしれない。別荘地では整備された芝生やテニスコート、プールなどがあり、管理人が常駐していることが想定でき、やはり、日本ではリッチなイメージがある。高級別荘地・・・。でも、高級が付くものほど、あやしく、良く分からないものが、世の中に多いのも事実の様です。

最後の「里山」という言葉が出てくる人は、なかなか、この世界に通じている人という感じがする。

里山とは、「人の営みと自然の営みとがぶつかり遭い、微妙なバランスでかろうじて、人の営みが維持できる場所」と理解している。

でも、ここの山小屋に関して言えば、里山というよりは、自然の中にすっぽり包まれた山小屋であり、けっして里山の山小屋ではない。いつ自然のパワーに押しつぶされるか、分からない様な場所で、人間がなかなか自己主張ができない場所にある。もちろん、人の営みを押し付けることはしませんが、仮に押し付けたところで、簡単に押し返されてしまう様な厳しい環境に近い感じがする。

昨秋の台風により、土石流が発生して、車での往来も不可能になった。もちろん、冬季には、土石流がなくても、積雪に阻まれて、車での山小屋への到達は不可能です。このような環境だからこそ、この場所がお気に入りだ。なぜならば、人の営みは、本来、このような自然と常に対峙し、何とか克服することに、生きる面白さや本性がある様な気がするから。「自然との調和」とか、「自然に優しい生活」とかいうキャッチフレーズも解らない訳ではないが、本来、この様なセンチメンタルを受入れてくれる様な自然ではないことは確かだ。里山でも、人の手が入らなければ、本来の自然の姿に戻ってしまう。本来の自然とは、良くも悪くもあるがままのもの。そのことは、当然、人の営みには不便な自然だ。でも、これが本来の「じねん(自然)」であり、「かんきょう(環境)」だと思っている。

この論理からすると、よく環境大臣などが口走る「環境に良いから○○をします」などは、結局、煙に巻くための詭弁であることになる。それよりも、「人の営みを維持するため、○○をします」の方が的確と思うが、これでは、おそらく、つじつまが合わないことになるだろう。コンクリートで固められた川の護岸工事などは、その際たるものと思う。川で魚などの動物を捕ることが、人の営みです。コンクリートで固められた川は、動物が住める環境ではないことは明らかだ。やっと、この辺りのおかしさに気づき始めた。

都会では「人の営み」以上に、もっぱら「経済の営み」が最優先されている。当然、ストレスなどが溜まるのは避けて通れないこと。政治家なども、いろいろと理屈を展開しているが、高速道路やダム建設などの問題も、人の営みを超えた経済の営みに軸足を置くところに大きなごまかしや過ちがあると思う。本来の人の営みや生き様がどこにあるのか、正面から見直すことが問われている時代となった。

また、最近、ネットワーク社会の下、集団自殺が増加してきた。その死の場所も人知れず山の中が多い。都会では死に場所すらないものかという感じだろう。先日も、京都の貴船神社奥宮の雪深い上流で、仏さんが見つかった。死後、一月程度とのこと。原因は不明だが、いずれにしても残念なことだ。様々な理由があっての事だろうが、その中には、自然の中で生きる術(知恵)を身につける努力をすることで、回避できるかもしれない。動物は本来、そうして生きている。人間に嫌われものの代表格ゴキブリは、ただもくもくと歩き回る。人には意味のない動きに写るが、考えるより、まずは動く方が、かれらは食物に遭遇するチャンスが多いからだという。常に「人の営み」のバランスの中で生きることを本望としている今、その中で「経済の営み」を位置付けている。だから「山小屋」がある(かなり乱暴な論理展開だが)ということになる。ちなみに、仕事は、サラ金に追われた人の救世主「夜逃げ屋本舗」ではないが、生を止める前に、自然の本質を少しは考えてはどうかなぁと思ってしまう。

「今年は雪がまだ、まだ深いね」
「でも、来月にはヤマメ渓流釣りも解禁だね」
「今年は、雪解けの中で"ふきのとう”に出会うことができるよね」
「なんか、すっごく待ち遠しいね」

三寒四温、もうすぐ、山小屋も雪解け目前の季節になってくる。

でも、まだまだ「寒中お見舞い申し上げます」。

京都山小屋の住人

(次回に続く)