第55章 本当の自然温泉(2008.1.20)
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元々温泉の少ない京都にも多くの温泉施設ができた。と言っても、地熱で温められた地下水が自然に湧出するものではなく、ボーリングによって人工的に揚湯された温泉、いわゆるスーパー銭湯である。温泉の定義は、温泉法で必ずしも水の温度が高くなくても、普通の水とは異なる天然の鉱水やガスが湧出する場合に温泉(地中から湧出する水の温度が25℃以上あるか、マンガンなど19種の物質のいずれか一つが基準を満たす)とされているが、地球の岩盤まで注射針か、ストローを刺して、岩盤に溜まった水溜りを吸い上げているような感じでしょう。されとて温泉は温泉、家庭のお風呂に入浴剤を入れるよりは、確かに芯まで温まる。そう言えば、入浴剤と言えば、長野白骨温泉の騒動をきっかけに、源泉かけ流しの偽装など、日本中で温泉の利用表示などについての問題が発覚し、それが様々な業界へと展開、拡大してきた。グローバル化の下の密告システムのお陰か。密告の行為は本当に正しい正義か、どうも、鉄のカーテン下のシステムが頭をもたれてくる。さらに昨今ではコンプライアンスの号令の下、「安心・安全・正直」がその度に叫ばれているが、今後もまぁなくならんだろう。何故か、人の本質と言えば、そうなんだろう。それじゃ、どうしたらいいのか。その答えは、やはり「仏ほっとけ」で生きるしかないが、それは自給自足の世界でありかなりハードルが高く無理だろう。政治家などが口にする消費者主役などは、所詮、お題目だろう。そんなものかとあらかじめ悟ることが必要なのかもしれない。「安物買いの銭失い」という言葉があるが、はじめから期待値を下げているので、大半のことは納得できる。家では苦言を言われるが、この方が裏切られないで済む。この前も新聞の広告に「九州4泊3万円、朝3回、夕食1回付き、当社Aクラス温泉宿宿泊」の旅行ツアーがあった。偶然、このツアーに参加する知人には、オプションなどを利用しないで3万円ポッキリで旅行することに、この旅行の意義と価値があることを話した。「安物買いの銭失い」を実践する生活に楽しさやスリルがある。吾唯足知の実践である。「価格の高いものが良いもの」は、「高級○○○○」の類に過ぎないということもあるんじゃないだろうか。この価値観わかるかなぁ。

話がやや逸れてきたので、温泉の話題に戻そう。山小屋の近辺では残念ながら温泉はないが、山小屋への一ルートの途中にある鞍馬山の裾野に温泉がある。一度もこの温泉には入ったことはない。価格も高いのも、市内にあるスーパー銭湯とは違う。地元の人もこの価格では利用する人は少ないと聞く。となると、やはり観光客が主となっているんだろうか。冗談半分で、限界集落の脱却に向け、温泉施設を開発したらどうだろうかとの話はよくする。先ほどの温泉法の定義からすれば、山小屋の前を流れる水の成分が、この中の基準に合致すれば、温泉になるんだろうか。源流に近いため、地中から湧出していることは偽りはない事実だろう。そうなると成分とその値に一獲千金の夢があるのか。こんなことを考える性に、やはり法やルールは守られないこともでてくるんだろう・・・危ない危ない。

「五右衛門風呂、最高や」
「スーパー銭湯の露天風呂なんか、もう入れないやろ」

冬の雪、春の山桜、新緑、夏の蝉時雨、秋の紅葉と景色など楽しみながら、時折、鹿の声も聴こえてくる中での五右衛門風呂に優るものはないか。

「これで温泉でも出れば、文句なしなのになぁ」
「そうなんだけど、不思議とこのお風呂、湯冷めしないよね」
「そういえば、こんな雪の中でもポカポカしているよね。てっきり薪の遠赤外効果と思っていたよ」

日本のマンガン採掘の三大産地の中でも、日本一といわれる丹波盆地。かつて、旧京北町、旧日吉町、旧美山町を中心として丹波盆地の中に、約300箇所の鉱山があったという。一度、飲料水としての可否も含めて、温泉成分の分析をしてもらおうか。マンガンは川などの天然の水などに元々含まれているが、まぁ、ここ何年間、生水でがぶ飲みしていても、体調の変化もなくまったく大丈夫だろう。

京都山小屋の住人

(次回に続く)