第86章 方丈での温故知新(2012.11.26)
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「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し」(方丈記より)

今から800年ほど前の平安時代末から鎌倉時代に生きた文人、鴨長明(かものちょうめい)。下鴨神社禰宜(ねぎ)の次男として生を受けたが、神職としての出世の道を閉ざされ、後に出家の後、建暦2年(1212年)に書き上げた『方丈記』は、日本の三大随筆の一つ(吉田兼好『徒然草』、清少納言『枕草子』とあわせて)として名高い。今年は鴨長明が「方丈記」を執筆してから800年を迎えるということで、日本のこれからの価値観を再検討する機会として、先人の知恵から学ぶ行事が下鴨神社で行われた。
大火、竜巻、飢餓、そして地震と物心がついて40年余りの間に「地、水、火、風」の自然災害に見舞われ、民の生活に大きな影響を及ぼしたが、しかし、しばらくすると話題にすら上らなくなる世相を戒めている。そんな彼は、60歳を過ぎてから終の棲家を山科の日野山(京都市伏見区日野町)に3メートル四方ほどの方丈を建て隠居。この庵に愛着を持ち続け、自然の恵みの下、質素倹約をもとにし、その余生を自然体で過ごしている。手は召使、足は車ということで、自分のことは自分で行うことを常とすると云った生き方を踏襲。方丈記は、人生の晩年に差し掛かり次の世に残すための随筆であり、改めの現世への提言とも言える。受験のための古文でも親しんだ書物でもあるが、さすがに京都はその歴史の古さを感じる。

「この話を総括すると3点ほどの提言が見えてくるね」

「大地震の教訓を忘れることなかれ」

「かの近江商人も家訓としてきた"質素倹約を旨とし、決して驕(おご)るなかれ"」

「さらに"自分のことは自分でやろう!(DIY精神)"」

「でも、実際に体験・経験することとテレビなどで見聞きすることには大差があるだろうね」

「ところで、この山小屋、まさに方丈の庵を結ぶだね」

歴史は繰り返す記述が多々あることに感銘を受けたが、いつの時代も人間が生きるための基本的な心構えは変わらないことを物語っている。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ことで、大きな災害を繰り返す人間社会、野生の生き物たちは、常に地を素足で闊歩し、そのことで本能により災害を回避するが、人は知恵で回避する。そこに大きな落とし穴、盲点があることは歴史を振り返っても明白である。知恵は、時と共に都合よく変化する代物、常に本質を追求するものでないところに難がある。さらに、人が語る本質も怪しいところがある。
災害と平穏、飢餓と飽食、不便と便利、確かに現代の方が圧倒的に良いと答えることだろう。唯一、平穏の中での平和ボケは、昨今の国際情勢を見ると実はとても怖いはずなのだが。何はともあれ、日ごろからの心の持ちようが大切であり、相対的に対峙する出来事や概念を認識した上で、改めて今を考えると、きっと幸せを感じとることができるのではないだろうか。

2004年の土石流

京都山小屋の住人

(次回に続く)