第88章 森の中に棲む守り神、モリアオガエル(2013.6.6)
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森に生息するアオガエル・森青蛙(Forest green tree frog)。日本の固有種ということや産卵が水の中ではなく、木の上に産みつけ珍しい蛙でもあり、また、生息地の森林などに人の手が入り環境が変化したことにより、各地で生息数を減らしていることから、自然環境のバロメータとして関心が高い生き物の一つ。梅雨に入るやいなや木々の樹上に、白い泡で包まれた球状のものを見つけることがある。その下には、当然、池などの水があるはずなのだが・・・。流れのある渓流の上ではなく、澱んだ水溜りの中で多数のオタマジャクシを見かける。
例年、産卵場所は同じ。大人の蛙になると森の中で生活の場を移動することから、生を受けた場所をしっかりと体の中に記憶して産卵をしにきているのかもしれない。山小屋のフィールドの中にも、モリアオガエルの産卵場所があるが、その場所は人間の営みとの微妙なバランスの中で偶然に生まれたものである。

この産卵場所の構図は次のとおり。
@北山杉の丸太の皮むきに水ジェットを使うため、大量の水が山道の入り口の窪みに流れ込み水溜りとなる。
A通常、2〜3日程度で水溜りも引くが、梅雨の時期はその水溜りが結構な大きさとなり、一定期間は水深こそ浅いが池のようになる。

この時期を計ったように、産卵するのであるが当然リスクはある。例えば、空梅雨となった場合などには、この産卵場所の下には水はない。それでも敢えて、この場所で産むのは、それが本能だからかもしれない。確かに、知る限りここ10年間は毎年、確実にこの時期には水溜りはできている。臨時の水溜りであり、そこに棲むヤゴ、ゲンゴロウ、アカハライモリなどの天敵の存在はない。最大の天敵は、この場所をたまに通過する4本のタイヤぐらいだろう。静かに徐行はするものの、水溜りの中には多くのオタマジャクシがおり、犠牲になっていることだろうが、自然環境では、無事に親蛙に成長する確立は、わずか1%にも満たないという。
しかし、この事よりも大きな環境変化により危機が訪づれようとしている。昨年度からこの場所での丸太の皮むき作業の頻度が少なくなっている。従事者がそれなりに高齢化したことに加え、過去の北山銘木も、現在ではその需要も激減、そのため付加価値も下がってしまっている。東北の大震災後、一時的に丸太の需要は高まっていたが、それでも古き良き時代を知る者としては雲泥の差があり意欲も薄れ、辞めることになったらしい。いつも、山が荒れることがとても悲しいともらしていただけに、とても残念でならない。

「今年も卵がたくさんぶら下がっている」
「下には水がないけど、大丈夫かなぁ」
「雨でもあればまもなく、孵化するだろうね」
「今週は梅雨の中休みのようだし、恵みの雨にはなりそうにないね」
「これも自然の摂理、仕方ないか」
「バケツに水を汲んで置いておこうか」
「それよりか、おじさんに聞いて見たほうがいいね」

環境という観点からみても、それが人工的に作られた環境であるかは問わず、地球上に棲む生きとし生けるものはしっかりと繋がっている。人がこの森に入る前から生の営みを続けてきた森の神・モリアオガエル。これからも彼らの棲み家である環境が守られていくことを願いたい。森の奥から「カラララ・カラララ・クックックッ・・・クックックッ」と雨乞いの泣き声が一斉に聞こえてきた。

京都山小屋の住人

(次回に続く)