第37章 山小屋の名産品(2005.9.19)  
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日本ほど名産品に関してバラエティ豊かな国は他にはないかもしれません。47都道府県、市町村レベルでは相当な数のいわゆるお国自慢とする名産品、お土産品があります。観光地には○○特産、元祖名物、本舗○○等々、軒先を争うよう、この種の看板が目につきます。でも、「名物においしいものなし」の言葉、確かにそうかもしれないところが多々あるような気がします。名物品は、地方のおみやげやにはなく、その土地の食べ物屋さんや家庭にあると考えているからです。その土地で産まれた食物を知り尽くし、一番いい状態で料理をして食卓に出す、当たり前と言えば、至極当然のことです。それが、ままならなくなったのか、今年6月、食育基本法が成立しましたね。実は最近まで知らなんだ。

家庭における現実がそこまで荒廃した食文化となってしまったためか。マクドナルドに代表されるファーストフードは確かに便利でそれなりに美々です。でも、以前、発覚したミスタードーナッツの添加物問題など、便利な社会では、これら類のごまかしは氷山の一角かもしれません。それじゃ、そんなに食文化が荒廃しているかと言えば、そうとも思えません。どちらかというと、農業団体など生産者、加工する食品メーカ側などのビジネス原理ではないでしょうか。商業主義的な発想、食のブランド力確保によるビジネス拡大の匂いが濃いような気がします。食の内容が大きく変化していることは確かですが、それはそれで悪いことではないでしょう。それを問題視する大手メーカの宣伝も大々的にメディアを通じて行われているところに、問題があると感じます。欧米の食べ物を食しない日本人では、おそらくオリンピックなどの国際舞台で活躍はできないでしょう。

商業主義的な卑しさが見え隠れするところに、この法律の怪しさがある気がします。食が大事なことは当たり前のこと。国が関与べき問題でもないという立場です。これで薀蓄(うんちく)を語る人々も同類です。食料自給率の低下を受け入れた農業基本法、資源の乏しい日本が経済大国として発展するためのカードとして利用した。日本の農業のあり方は横において、この類の法律ができるところにお役人の成熟度の低さを感じてしまう。経済の引き換えは仕方ないけれど、それでも農業の本質は変わりはない。お天道様相手の野良仕事が百姓の姿そのもの。汗の中で育った農作物を使う料理に敵うものはない。

こんな愚痴を語ったところで、何の腹の足しにもならない。美味しいもの、その土地にしかない名産品の類は、ネット社会においても、その土地にしかないということです。全国名産品フェスティバルなどの類では期待できないと思っています。名産品の多くは地元の人たちの手作りが基本です。積極的に宣伝しなくても、その土地で充分に消費できる場合が多いからです。また、名産品という感覚もない場合が多いようです。当たり前の食材、材料を使い、当たり前に食し、あるいは加工して工芸品として利用するだけのことです。「地産地消」が私の名産品の条件です。

「旬のマイタケ採ってきた」
「そんじゃ今年も、鶏と里芋で芋煮会でもするべぇ」
「今年はこの大鍋で皆で鍋を囲むか」
「あの鍋なら二つは潰さんとなぁ」
「そんじゃ、来週の土曜の朝にすんか」
「包丁といどくよ」

地鶏の美味しさは絶品。その土地の土で育ったもの同士の相性には何物も敵わない。

「命の移し替え、生きとしいける者」に感謝合掌。

<山小屋名産品>
・自家製炭火のあまご、鮎の塩焼き、和牛塩焼き・地鶏の蒸焼き・山菜料理・山椒煮・白菜漬け
・どんぐりの若木(名産品候補、30年後デビュー)

山の中のすべての環境が一番のお膳立て(テーブル)です。

京都山小屋の住人

(次回に続く)