第79章 熊の受難、人の受難(2010.10.17)
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今年は山にドングリの実が少ない。一方では松茸は豊作ともいう。確かにデパ地下には、国内の様々な地域の松茸が並んでいる。でも、最近の豊作、不作のブレの大きさが気になる。ドングリが不作の年は、里山だけでなく、人のテリトリーにも出没し、農作物や人に危害を与える。特に厄介な熊は子連れ熊と云われている。母熊の本能の怖さだけでなく、母熊に連れられ里に下りた小熊は、人の環境に馴染んでしまい、大人になっても居座る傾向があるらしい。このような理由から村に現れた熊は、被害の未然防止や被害の拡大を防ぐためにも、残念ながら、射殺の選択肢にも理がある。ましてや人に危害を与えた熊は容赦なく、徹底して駆除される。射殺された熊をテレビなどでみると、麻酔銃で眠らせてから、山奥にでも開放したらいいのにと思うが、現場では現実的ではないのだろう。

熊の出没は、団栗の不作や植林後の材木価格の下落などによる山の荒廃による餌場の不足が原因の一つではあるが、これだけではない。自然を愛する多くの人たちが、自然の癒しなどを求め、熊のテリトリーまで足を踏み入れている。そんな場所で熊の被害に遭うのは仕方ない。ある程度、納得し諦めもつくだろう。でも、山奥にコンビニ弁当などを持参し、食べ残しやゴミなどを放置し、山を降りる行為は問題だ。コンビニ弁当の味をしめた熊は、その野生の嗅覚で人の住む村に近づいてくる。さらに、村には果樹園などもあり、村の家の庭には柿や栗などの実のなる木もある。その昔から「庭に実のなる木を植えると縁起が悪い」という説があるが、ひょっとすると熊による危害も関係していたのかもしれない。村は、彼らにとって新たなグルメ志向の餌場となっている。

このままだと、都会の動物園でペット化した熊にしか会えなくなる時代が来るかもしれない。あるいは、トキ(学名:Nipponia nippon)の放鳥といった愚かなことをやる羽目になってしまうことにもなりかねない。その昔、熊が森のカミであった頃に戻ることはできないが、せめて、これ以上、むやみに互いのテリトリーに踏み込むことだけは避けたいものだ。それができるのは、カミにはなれない人しかいない。

ところで山で熊に遭ったら、熊がいる真下の方向へ回って逃げるといいらしい。熊は後ろ足が前足より長いため、真下への駆け足は苦手なそうだ。でも、その逆の位置ででばったり会ったら、やはり死んだまねをするしかないだろう。いずれにしても、上に逃げたらアウトだが、とっさに判断できる自信はない。

「熊も大変だけど、村の人たちも大変だよ」

「都会の人も大変だよ」

「なんで都会人が出てくるの?」

「熊が出没するから山登りが出来ないからだよ」

「この季節、山には熊はいないから大丈夫だよ」

「ところで、この山小屋は熊の棲家だよね」

「この山小屋?、熊って俺のことか」

京都山小屋の住人

(次回に続く)