第77章 鹿の餌場のための畑開墾(2010.5.3)
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棚田、農作業への憧れから、畑づくりに着手した。

日本の故郷の風景の代表に棚田がある。山の斜面を切り開き、そこ山水をひき稲作を行う。水を田んぼに貯めて置くため、田んぼの壁面を粘土で固める作業は、かなりの重労働であったと聞いたことがある。今では耕運機1台で、この畦塗りも行ってくれるから楽ではあるが、斜面のきつい棚田では、耕運機を上げるのもたいへんだ。

人類が大地に2本足で歩き出し、道具を使い始めてから大地を耕し、そこに作物を植え育ててきた。いかに効率的で生産性の高い方法を見出し、工夫しながら改良してきた。いつの頃からそれが農業と呼ばれるようになった。土と向かい合うことは、突き詰めると自分と向かい合うことに通じている。人が生きるために必要なエネルギー源を摂取するため働く。様々な仕事があるけど、そこに楽しさを見出すことが、結局、生きがいにつながっていく。でも、農業は、たいがいの作物の場合、年1回しか経験ができないため、時間軸で見て、まさに1回1回が真剣勝負。まさにお天道様との戦いだ。だからこそ、毎年、新たな気持ちで挑戦できるから、楽しいのだろう。今年のような低温が続くと、1993年の冷夏による米不足騒動を思い出す。ジャポニカ米が手に入らず、特有の匂いのあるタイ米を食べてしのいだものだ。バブル崩壊間もない飽食の時代しか知らない世代にとっては、大袈裟だが飢えに近いものがあった。かと言って自給自足は憧れであって、到底、今の生活水準を維持できるものではない。日本の国内需給率から見ても明白である。まずは身近で手間のかからない根っこ作物から始めよう。

そのため、まずは杉林の一区画を伐採し、ツルハシとスコップでそこに畑を作る計画を立てた。

「この杉の根っこ、じゃまだね」
「でも、そのねっこを抜いたら、山が動くかもしれないよ」
「ここを境に石の山に近いから、この根っこ、杭の役目をしているよ」
「それにしても砂利が多いね」
「つべこず言わず“人の一念岩をも通す”の気合で耕すよ」

土に触れることは、しんどいよりも何故か楽しい。理由などないけど、とにかく楽しいものだ。夜、焚き火をぼーっと眺めることに通じているような気がする。さて、この段々畑でこの年、何が実るだろうか。シカたちの餌場であることには間違いはなさそうだ。今朝も鹿が野山を闊歩していた。

京都山小屋の住人

(次回に続く)