第49章 蛍見床で星の彼方に夢想(2006.10.21)
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完成した蛍見床で銀河を眺め、しばし夢を見た。小学生の頃の疑問。宇宙に果てがあるのか?果てがあれば、その先はどうなっているのか?逆に果てがないって、永遠ってどんなことなんだろうか?この年になって、このような疑問はほとんど関心事になっていない自分がある。夢見る事はどんな年になっても大切かもしれないと今宵の夜空の星を眺めながら思った。

夜空に見える天体、恒星や惑星、そして雲のように広がりのある天体などの天の川が拡がっている。天の川も宇宙空間では、多くの銀河の一つに過ぎず、ましてや我々のエネルギーの源である太陽は天の川の中でさえも小さな小さな点に過ぎない。さらに、我々が棲む太陽系の地球などの惑星は、漆黒の宇宙空間ではその存在すら知ることはできない。ましてや、そこに生命や文明があることなど知る由もない。でも、こんなにとてつもなく大きい宇宙、銀河だからこそ、その中に生命、文明が存在しない方がおかしいと思えるが実証はされていない。実際、地球にある生命のルーツは、宇宙に無数にある星屑から生まれてきたという。そういう意味では宇宙は生命の母であると言える。太陽系の中の蒼き地球、微妙な偶然の賜物、奇跡なのか、でも、銀河の時間軸では、そんなことを考える必要もないほんの一瞬の存在なのかもしれない。いずれ太陽系は消滅し、そのもっと前に地球は消滅する。生物の歴史や人類の行動様式を見る限り、間違いなく、そんな壮大なイベントを予約して見ることもなく、この地球上に人類が存在していた証すらすべて消滅しているだろう。想像すらできない広大な宇宙に思いを馳せていると、すべてが諸行無常に思えてくる。

このように宇宙は、価値観や想像を遥かに超えた存在であるからこそ、夜空を眺めながら夢見る楽しさがある。しかも、今夜の空を見上げて見える星々は、それこそ何万、何百光年前の光である。過去の宇宙の世界を眺めていることになる。それだけで不思議な感じがする。まるでパノラマ状に広げた大スクリーン上で大昔に撮影した映像を上映していることに等しい。

そう言えば、今から10年前頃にヘ−ル・ボップ彗星を家の窓から見たことがあった。銀河のレベルでは、自宅の庭先で楽しむ線香花火の程度に過ぎないだろうが、それでも宇宙の神秘を感じることができた。

「あっ、今、ピカッと流れたよ」

「あっ、すごい、すごい」

「あっ、また来た、また来た」

「きれいだ」

次回の天体ショーは、今でもしっかりとした漆黒の夜がある山小屋の蛍見床で楽しみたい。これから空気も澄み、夜空が輝きだします。また、初夏には蛍の観賞を楽しみにしている。その前に、今、この時を楽しもう。

京都山小屋の住人

(次回に続く)