第15章 広葉樹の森は明るく暖かい(2004.8.21) 
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山小屋が立つ山の大半が杉林です。でも、この杉林を取り囲む高大な自然は、すべて広葉樹の森となっている。渓流釣りのポイントにしている森も、途中、針葉樹の森を通り、広葉樹の森の中にある。

「なんか、この森、怖〜い感じがするね」
「ひんやりして涼しいいけれど、暗い感じやね」
「これが杉林の森やな」

この杉林の森を過ぎると、急に森全体が明るくなる広葉樹の森に入る。特に、残雪がある春先のあまごシーズンの渓流釣りでは、ほのぼのとした雰囲気に包まれる。

「急に明るくなった感じがするね」
「木漏れ日の光がキラキラと反射して、なんだかとても気持ちいいね」
「鳥の鳴声も聴こえてきたね」
「ほら、あそこのポイント、あまごが大きな口を開けてアクビしているよ」
「あれって、アクビじゃないよ。水面に落ちた昆虫を食べているところだよ」
「お食事タイムか。いい時間帯に来たね」

生きている森は、やはり広葉樹の森でしょう。もちろん、針葉樹の森にも、ヒグラシなどの特有の生き物は棲んでいるが、圧倒的に広葉樹の森の方が、生き物の種類も数も多い。でも、この広葉樹は、針葉樹に比べて成長が遅く、商業材としての価値がないため、戦後の国家的事業として針葉樹植林が進んできたが、国際競争の荒波の中、もはや森林業は、無残にも衰退化している。針葉樹は根が浅く、落ち葉は保水性が悪く、広大な造林は土砂崩れや土石流などが頻繁に発生する原因となっている。その対策のため、砂防ダムや頑丈なコンクリート製の橋などに税金を投入せざるを得ない悪循環がある。この間も短時間の急激な雨で、山が、木々が崩れる姿が生々しくテレビで放映されてきた。この悪循環を断ち切るには、元の自然のバランスに戻さないといけないことは当然のことだ。

「こんな小さな渓流にもこんな立派な砂防ダムがあるとは知らんかった」
「でも、このダムにある木の山、すぐにでも土石流になりそうやな」
「木だけではないね。自動車の古タイヤや冷蔵庫も廃棄されているよ」
「山が荒れているとは聞いてたけど、ここまでとは驚きや」
「この木のゴミの掃除にも、税金が投入されているんよ」
「やはり、保水力豊かな森にすることが、賢いやり方やろうね」
「でも、戦後から今まで、このダムや整備された山道の利権構造をまずは土石流できれいに流さんとあかんだろうな」
「政治の山が動かんと無理みたいやね」
「ゴミに埋まる田舎の姿か。都会のゴミ以上になんか悲しいね」
「日本人、見えないところ、何でもありの民やからね」
「そやな、政・官・民ぐるみの隠蔽話にも事欠かないよね」
「いずれも、内部告発、密告だよ」
「気つけや。人の絆の信頼関係も希薄になってきたのかな」
「でも、あの温泉もいんちきだったとは幻滅やな。これってれっきとした詐欺や」
「せめて宿泊代ぐらいは返還請求したらどや」
「いずれもせこいおはなしやな」

山小屋がある杉林、多分、300本以上はある。樹齢30年程度。大きいもので、幹の太さは50cmのものもある。それでも、この杉を売っても二束三文の値打ちしかない。国産材の価格破壊に押されて、国内産の材木の値段が極端に安くなっているためだ。かといって、この立派な材を使って大黒柱のある家を建てる甲斐性も今のところない。誰か、甲斐性のある方がいれば、遠慮なく申し出てください。今回の山小屋の一部やテラスには、この杉の丸太が大いに活躍している。日曜大工に毛の生えた範囲では無理かもしれないが、いずれ、この森を広葉樹の森に戻すことを目標に、もう少し、積極的に活用する方向や施策も考えたいと思っている。

明るい広葉樹の森に山のカミが棲む、いや昔のように山のカミが棲める自然を取り戻すことも我々世代の責務と思う。

京都山小屋の住人

(次回に続く)