第14章 排水は都会への出発点(2004.8.8) 
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山小屋の前を流れる渓流は、ほぼ水の出発点,源水地。当然、飲料してもお腹をこわすことはない。人体実験でも証明済みだ。それにしても現代人は、本当の渓流水に臆病になった。確かに、動物を介するウィルスのリスクはあるが、無名のペットボトルの水よりは新鮮な神泉水だ。天然のヤマメが棲む渓流だ。

「この水、富士山の清流のおいしい水だよ」

「僕はいつも○○スの△△のおいしい水を飲んでいるよ」

「ふーん、それじゃ、こっちのペットボトルの水はどう」

「これも、なかなかおいしいね」

「これは山小屋のおいしい水だよ」

「そんな銘柄あったかな、どこのメーカ」

「PB商品、ここだけのオリジナルやけど」

「この村オリジナルか、買って帰ろうかな」

「残念ながら非売品だよ、その橋の上が取水場所」

「エッ、大丈夫?」

「今までクレームは来ていないから。多分、免疫力が高ければ問題ないでしょ」

「・・・・・」

この渓流の水は店頭に並んでいるペットボトル水よりは、新鮮で冷たくおいしい。ところで、この渓流の水は何処にいくのでしょうか?そう、都会に流れ、途中、都会人の飲料水になる貴重なお水です。そう思うと不思議と、様々な排泄物の出し方に気を使う。その中でも渓流を汚すものは、料理に使う油や後始末の洗剤だ。油は新聞紙で拭き取ってゴミとして焼却、洗剤は極力、使わない様にしている。現在、工作中の風呂小屋兼水洗場の排水については、風呂の浴槽の水は、ほぼそのまま渓流に流し、その他の排水は排水溝経由で地中の微生物で分解させようと考えている。大半の田舎の排水は川や湖にストレートに垂流しですから、まだ、良心的な排水処理方法だ。

この山小屋を建てる際に、町役場の土木課に建築許可の必要性の有無を尋ねたことがあった。その際、排水についても伺ったところ、「その件については環境○○課に問い合わせてくれたら、助かります」とのこと。お〜い、ちょっと声をかければ、担当者に声が届く距離なんじゃないの。小さな村役場でもしっかり国の縦割り行政を踏襲していることに感心すると同時に、鮎やヤマメが棲む清流の村を大らかに謳うこの村でさえも環境後進国の実態を垣間見た。

ほんの数年前まで、環境大臣って、この国では軽んじられていたポスト。環境庁から環境省に格上げされた時代背景、確かにゴルフに興じる都会人の意識には少し変化があるのかもしれないが、田舎人の本質は昔のまんま。都会人のように、そんな簡単に変れる訳がない。これからは道路行政よりは環境行政やろね。道路はもうあかん、こちらの方が金(地元が潤う)になる様、大いに知恵を出してほしい。少々の補助金ではどうにもならない田舎の環境問題。もっと正面から取り組まんとあかんけど、ハード志向の道路族議員には期待できないかもしれない。

「小便、どこでしたらいい?」

「橋の川下であれば、ご自由に」

「・・・・・。最高やな。アイツの顔を思い浮かべながらの小便。」

「なんでや?」

「だって、この水、水道の蛇口に通じているんやろ。」

「本当の聖水やな」

ところで、アイツの問合せが相次いだ。人の上に立つとそれは敵も多い様ですが、所詮、小ムラ社会での利害関係。この点を履き違える人もいる。余程、日頃からのストレスが溜まっていたのでしょう。お許しあれ。京都市民の皆々様。

京都山小屋の住人

(次回に続く)