第32章 昔は生産木、今はご神木(2005.6.20)
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悠久の時を越えてそびえ立つご神木・伏条台杉。山小屋がある一体の森は、古くから御杣御料として守られてきた森で、今日まで人為的影響を受けながらも大切に守られてきた西日本屈指の巨大杉群落の森です。長岡京、平安京の造営時や幾度となる大火の際には、膨大な量の用材がこの地より運ばれたという記録がある。さらに、鎌倉時代には、御料林を中心に林業技術が発達し、1本の木から多くの材がとれる大変、生産性の高い大杉だった。しかし、明治時代に入り、御料地の解体に伴い民間に払い下げられ、幸か不幸か放置された台杉仕立ての杉は、大きくなり過ぎたことが用材としての価値を下げ、伐採の手から逃れたと言われている。その時代の忘れ形見が、巨大なご神木の群生となって残った。

実は伏条台杉の存在は噂で聞いていたが、つい最近まで、その姿を見ることはなかった。でも、山に入るときは、いつもその見えないご神木に向って、拍手と頭を垂れていた。先日、小屋の大工仕事も一息ついたため、山菜採りも兼ねて、山小屋がある山の山登りの際に、偶然にも、この伏条台杉を合計3本発見した。その大きさと貫禄にしばし見とれてしまった。ご神木がある場所は、時間が止まった感覚で、あたりを冷たい空気が漂い、とても神秘的な空間だ。ご神木から発せられる神秘的な霊気パワーを感じた。何も語らなくとも人を引きつける魅力がある。自然との確かな信頼関係に基づき、築きあげられた魅力かもしれない。

ところで、この伏条台杉探索ハイキングとかいうイベントが行われている。でも、あまり宣伝、商業主義はしないでほしいのが本音だ。これから団塊の世代の方々が、大勢で押しかけることが容易に想像できる。彼らにはマナーはあるが、でも、山は荒れるだろう。広葉樹の苗木を片手に、ボランティアハイキングであれば、まだ、歓迎だ。でも、くれぐれも、熊にはご注意あれ。熊の視線が気になっている今日、この頃だ。

「この老木、すごいね。幹回り、おおよそ6メートルはあるよ」

「樹齢、どのくらいやろかぁ」

「歴史を振り返って見ても、少なくとも300年は経つんじゃないかなぁ」

「台風にもめげず、ずぅ〜とこの場所に根を下ろしていることを考えると脱帽もの」

「目先だけにとらわれるあの声のでかい奴に見せたいね」

「今度、ご招待したらどうやぁ」

「品のいい山が汚れるからやめとくよ」

「厳しいけど、確かにそうやなぁ。仕事も付き合いも信頼関係がいちばんや。」

「そうでないと、いい仕事はできへんしなぁ」

昔から日本人は自然と協調しながら生きてきました。森の中にカミを見出して、自然と共に生きる人のありようを大切にしてきました。ところが、戦後、高度成長期を経て、そして日本中が踊らされていたバブル時と崩壊、その後の失われた10年を経て、このような日本的な価値観はすべて、経済的な効率性追求の下、押しつぶされてしまった様です。失われた10年もこのままでは、トンネルを抜け出ることもできないような気がします。一時的には、中国に踊らされることはあるとは思いつつも、本質的な解ではない。再度、日本人が古来から求めてきた自然との信頼関係を再構築した上で、長期的な目線を視野に入れ、新たな文化を構築、発展していきたいものである。日本人には、そのような発展のポテンシャルを内に秘めた民族であると思う次第です。21世紀はこんな価値観・コンセプトを持つ仲間が増えることを期待したい。


京都山小屋の住人

(次回に続く)