第58章 秋の夜長の虫の演奏会(2008.9.7)
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今年は五山の送り火でご先祖様があの世へお帰りになってから、処暑も過ぎ、朝晩が涼しくとなり、蝉の声がいつの間にやら消え、その代わり虫の音が賑やかになってきた。ここ山小屋周辺では、月明かりだけの明るさの中、虫たちが美しいメロディを奏でている。ロフトの床の中で、耳を研ぎ澄ますと、様々な虫の音が耳に入ってくる。目を閉じて、思考回路がゆっくりとなっていく中で聴く虫の音。今夏は、雨が局地集中的に降るためか、逆に山小屋周辺は渇水気味で、渓流の音は、賑やかではなく、あくまでもバックグランドのBGMで、虫の音が前面に出て演奏している感覚だ。目を閉じて眠りにつく前のほんのわずかの時間に音を楽しむことは、とても心地よいものがある。秋の盛り前のこともあり、ほどよい音声が半覚醒気味の体の中に浸透してくる。そのような感覚の中で、虫の音などを聴き分けることは、とても心地よい時間の一つだ。でも、山仕事で疲れた体を癒してくれる五右衛門風呂、そして風呂上りのほど良いアルコールのためか、すぐに睡魔が訪れる。

夏と秋が混在しているこの時期は、様々な虫の音がする。「スイーチョ・スイーチョ」と鳴くクツワムシ、かすかな声で「ジジジ・・」と鳴くツユムシ、「フリリリリン」と鳴くマツムシや「コロコロコロ」と鳴くエンマコオロギ、「ギースチョン」と鳴くキリギリスなどなど、たぶん脳に心地よい刺激を与えるのか、いつの間にかスーッと睡魔の世界に導かれてしまう。その後はしばし、イビキの音との共鳴が繰り広がることになる。

人に優しい自然とのハーモニゼーションの機会を遠避けてしまった昨今、この当たり前の光景の中に身を置くことで得られる感性を味わっている。そういえば、夜の都会にも、一人寂しく鳴き続けていた虫がいた。

「なんかコロコロコロと鳴いているよ」
「こいつ、俺の相棒でコオロギのコロちゃん。店の中が温まると鳴くんよ」
「でも、もう、師走だよ」
「地下のためか、一年中、こうして鳴いているよ。たまにカラオケとの演奏もしているよ」
「でも、冬にコオロギの音はなんか寂しいね」
「最近、お客が少ないので、特にそう感じるよ」
「よわった・・・」

京都にも一年中、スズムシが鳴くお寺が、人気の観光スポットの一つになっているが、季節の旬は大切にしたい。そのことがまさに自然で、地球環境から見ても優しい。

京都山小屋の住人

(次回に続く)