第91章 食の安全性へ警鐘(2014.8.1)
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今までに何度も繰り返される食の安全性に対する等閑な行為、犯罪。

現代の外食産業の象徴でもあるいわゆるファーストフード代表格のハンバーガー事件。そしてまたもや中国という。1年365日、毎日摂る食事に、安全なものを望むのは当然のことではあるが、この当たり前の食の安全に対する冒涜行為が、過去から現在まで洋の東西を問わず頻繁に発生して、後を絶たないし、その手法も巧妙となっている。今回の事件についても、大量生産・大量消費の社会での食の安全や品質を規格化したシステムで対応することを前提としているところに、最大のリスクが潜んでいる。そのことを垣間見る、日本法人の加社長の弁明の言葉がある。

「われわれは、一部の作為ある人に騙された。被害者はむしろ我々だ」とういう趣旨の発言。

生産システムそのものを根底から揺るがす事態だろう。同社は昭和46年に銀座三越店内に開店したのを皮切りに、多店舗展開し多くの日本人の空腹を満たし、満足させ、食生活の多様化と共に日本社会に広く受け入れられ浸透してきた。しかし、中国が駄目だからタイやベトナムなど労働賃金が低い国で生産するといった単なるリスク転化することでは済ますことができない食品産業の本質的な問題を抱えている。

規格化することは、安全、安心作りには必要な機能の一つではあるが、問題は働く人のモチベーションを本当に維持できているかどうかだ。多分に経営マネジメントの世界では、そのためのモラール向上や従業員教育の徹底などの施策を展開することが必要であると結ぶことになる。しかし、このような対応で本当に安心、安全な品質を維持することができるのだろうか、疑いだしたらきりがないほど、想像するに容易い。それこそ全工程を感情がないロボットでオートメーション化すること、あるいは24時間、カメラで監視することにもなり兼ねない。いずれにしても、強制ルールは心地よくなく、破られることが多々あるのが人の性だ。

一方、中国の報道は「これは外資系会社の問題、中国の問題ではない」旨の国際社会での品格が疑われる責任転嫁の論調。

どっちもどっちという感があるが、中国上海の近代的な食品工場での出来事である点がこの問題の根は深い。

日本人は、その昔から牛、豚やニワトリなどの家畜を飼いながら、その傍らで田畑を耕し、完熟堆肥作りを基本に、自己完結できる農耕プロセスを遂行してきた。良い土壌には、良質な微生物が棲みやすくなり、さらに強い土壌を形成してくれる。正のサイクルが毎年、巡り回ることで、さらに害虫や疫病に強い良質な農作物が育つ。確かにこのプロセスを回すには、並大抵の努力ではできない「むすびわざ」だが、これがごく当たり前の日本人の営み、自然との和を尊ぶ志だった。今でも日本ならそれができる風土や国民性があるだろう。今回の事件は、当たり前のことが当たり前のこととしてできなくなる我々の社会に、警鐘を鳴らす現象の一つであると考えたい。いずれにせよ、ファーストフードの品質などで文句が言える立場ではないと思う次第。何が加工食品から飛びでてきても騒ぎだてる資格すらないとの立場にある。

「日本人の朝食、白いご飯、生卵、漬物、味噌汁だよ」
「ご飯は、もちろんおひつからよそう」
「これが、今では最高の贅沢品や」
「最低でも、材料が確認できない加工製品はやめた方が無難ということか」
「でも、朝はトーストとコーヒー、ヨーグルトがいいや」
「それと、今日の昼は日本のハンバーガーにするよ」
「確かに三食、ご飯はきついね」
「それって、多分、労働が足りないからだよ」

都市社会での外食産業は大きなビジネスチャンスがある一方で、リスクが常に隠れている。やはり、自分で作った野菜を、渓流の冷たい水に浸し、それを丸かじりのまま食らいつくのが、手短な食べ方だろうし、今の時代、一番の贅沢な品かもしれない。手の込んだ料理も悪くはないが、作り手の姿が見えるもの、これが自然で一番美味いことであることは誰も否定できないだろう。「自給自足を目指す」とは毛頭言うつもりないが、常に置かれた状況から選択しながら、アプローチする余地は残したいものだ。

ここで選択肢。

イ.透き通るような白いお米
ロ.やや黄色がかったお米
ハ.黒い虫食いのあとがあるお米が少し混ざったお米

さて、どのお米を日常食する。

「イか、ロかなぁ」
「これは、ハだね。カメムシが吸い取ったあとだね!無農薬栽培で安心安全の証拠だ」
「まずは誰がどこで作ったのか、聞いてからにするよ」
「水が汚染されていないか、農薬の散布頻度が重要と思うけど、両方を開示しているお米は見たことがないよ」
「喰えるものは、文句を言わず喰うよ。ばちが当たるぞ!」

京都山小屋の住人

(次回に続く)