第85章 神は電気か(2012.6.3)
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昨年の3.11の大震災とその後の福島東電の原発事故による生活やそこにいた生き物たちにとって未曾有の環境変化に晒され、限りない命がこの世を去った。また、多くの住民は強制避難を余儀なくされ、この地に生きていた牛や鳥などの家畜、そして犬などのペットなどの多くも、やむなく放置され、目には見えない放射能に晒された。さらには一時避難と思っていた多くの生活者、特にお年寄りなどの弱者は、この環境変化に順応できず、さらなる不安などに直面している。

かつて、チェルノブイリ原発事故の際、ブルガリア・ソフィアに住んでいた。忘れもしない1986年の4月27日お昼のことだった。職場の賄いさんからバザーに寄ってきたけど野菜がほとんど置いてなかったと云う話を何気なく聞いた。夕方、近くのバザーに行くと確かに野菜の大半が店頭から消えていた。この季節、野菜だけは豊富に市場に出回っているはずだが、不審に思い、馴染みの政府筋に問い合わせて見ると、チェルノブイリ原発で昨日、大きな事故があり、そのため汚染された野菜を市場から撤収したとのことだった。当然、一般国民には開示されない情報。当時の共産国家では当然至極ではあるが、民主国家である日本もどうだったのだろうか。基本的に事故は深刻なほど、国は情報を隠そうとする。日本で隠蔽工作があったかどうかは、今後の検証を待つとして、重要な情報開示が国民、生活者にされなかった事実は承知するところである。

また、その昔、東京電力の一株株主の誘いが市民団体から来たことがある。彼らの主張はリスクの高い原発の廃炉だったと記憶している。その頃は時代錯誤の主張なんだろう程度の受け止め方しかできなかったし、所詮、原発推進の流れを止めることはできないだろうとの漠然とした思いもあった。当時の政府が牽引してきた経済第一主義の社会構造の仕組みこそが、今の日本を支えているとの確固たる自信は揺らぎようがなかったし、その恩恵を日本人の大半が享受していたことも事実であった。多分、原発はクリーンエネルギーあり、安全な技術という神話に騙されていたのだろう。今回は日本人自らの手で第三の原発が投下されてしまったような錯覚すらある。歴史を振り返ると、このままでは多分、我々はこの地球の中でも愚かしい民族の類に入ってしまうことだろう。

そんな中で、原発稼動が一時的しろ「ゼロ」となった日本。福井県大飯原発の稼動の是非で議論の最中でもあるが、反対派の関西の首長たちは、経済界の圧力に屈指、あっさり原発稼動を容認する立場となった。民主主義社会であれば、今後の日本の方向を決めることにもなるエネルギー問題、いとも簡単にその主張を翻す意思決定のプロセスに危うさを感じる。そこまで大上段に考えなくとも、生活者としては、原発事故の危機に直面し、皆で団結して絆を軸に、この夏を知恵などを絞りながら乗り越えようとする意気込み、覚悟は、近年にない高まりではないだろうか。この気運に冷や水を浴びせられ経済至上主義のエゴともいえる脅しになびいた政治家たち。危機には中長期のビジョンに沿って断固した決意で望んでこそ、次の世代の変革に結びつく。あまりにも目先の利益になびいた感が強い。

「安全・安心を一応確保できたのだからいいんじゃないの」
「誰も口だけで命に対する責任はとれやしない」
「一度起きた事故は何度も起きるのが自然な考えだよ」
「北にも近く海上からは無防備だしテロも怖い」
「琵琶湖の北に原発か、寂しい社会の構図が見えるね」
「都会で漆黒の闇はやはり怖いし、電気がないと困る人もいるよ」
「そうかなぁ、カキ氷、蚊帳、停電は、ほんの昔の日常だよ」
「電気は不可欠だけど、行き過ぎたシステムは逆に人を不幸にするね」
「いっそ日本昔話の世界で生きるとしようかぁ」
「それなら魚釣島の管理人になるかい」
「その前にこの山小屋の住人にでもなるよ」

ところで京都には、雷(いかづち)の御神威により、厄を祓いあらゆる災難を除く電気由来の神社がある。人の手で制御できない技術で電気を作ろうとするところに、すでに神の領域に入っている。愚かで畏れ多きことなんだろう。プロテスタント教徒が多く占め、合理的論理的な考え方をするドイツ人に脱原発エネルギーが構築できて、そんな感性のない日本人には土台無理なのだろうか。日本人ほど自然と共に生きる民は稀有であり、日本人の美徳でもある。皮肉なことに海洋国家でもあり、火山大国でもある日本、代替エネルギー資源には恵まれている。この小さな島国で、将来も引き続き持続的な経済成長を遂げ、安心して暮らせ、さらに世界で名誉ある地位を占めるためにも、いち早い自然エネルーギーを中核としたエネルギー戦略を打ちたてたい。この問題は都会の民と海の民の覚悟だけなんだろう。この絆を山の民は大事にしたい。それが今回のベストな選択であるはずだ。様々な主張や利害が複雑に絡む問題であるが、その解は「命」と「絆」にある。多くの生命の御霊を安めるためにも、原因となった原発の火は消し、かわりに心の法灯を点し続けたい。(合掌)

京都山小屋の住人

(次回に続く)